大判例

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東京高等裁判所 平成11年(ラ)2009号 決定

抗告人

日本放送協会

右代表者会長

海老沢勝二

右代理人弁護士

米倉偉之

永野剛志

内藤滋

相手方

株式会社A卸売市場

右代表者代表取締役

甲野一郎

相手方

甲野一郎

相手方

乙川二夫

右相手方ら三名代理人弁護士

南雲和彦

主文

一  原決定を取り消す。

二  相手方らの検証物提出命令の申立てを却下する。

三  抗告費用は相手方らの負担とする。

理由

第一  申立て

抗告人は、主文同旨の裁判を求めた。

第二  事案の概要

一  相手方株式会社A卸売市場(以下「相手方会社」という。)は、生花、植木、園芸資材等の売買の斡旋、荷受・荷捌き業務等を目的とする会社であり、相手方甲野一郎及び相手方乙川二夫(以下「相手方個人ら」という。)はいずれも相手方会社の代表取締役の地位にあるものである。

抗告人は、放送法八条に基づいて設立された放送事業者(同法二条)であって、同法七条所定の国内放送及び国際放送等を目的とする法人である。

二  本件の基本事件は、相手方会社及び相手方個人らが原告となって、抗告人を被告として、「抗告人がその記者らを使って、相手方会社の社屋前の道路上からビデオカメラで相手方会社の社屋の内外部を撮影して、相手方会社及び相手方個人らのプライバシーを侵害した。」として慰謝料としての損害賠償を請求した事件(浦和地方裁判所平成一〇年(ワ)第一二六五号)である。

三  相手方らは、本件基本事件において、「相手方会社が平成一〇年一月二八日に税務署員による税務調査を受けた際に、抗告人が所持するその記者らが相手方会社社屋等を取材として撮影した未放送のビデオテープ(以下『本件ビデオテープ』」という。)」につき、検証及びその提出命令の申立て(以下「本件申立て」という。)をした。

これに対して、原裁判所は、「報道機関の取材テープは、原則的には検証物提出命令を認めるべきではないが、①報道の自由よりも手続としての公平の理念がより強く要請される事案であり、②当該取材対象者の同意があること若しくは利益に反しないこと、③当該事件での証拠価値が非常に高いこと、という三条件に該当するときは、特にその提出を命じることを妥当とするのでその提出を命ずるべきであるところ、本件はそれに該当する。」として本件申立てを認容した。

第三  抗告人の本件抗告の理由の要旨は次のとおりである。

一1  本件基本事件は、報道機関放送等の表現行為を問題にしている訴訟ではなく、その前提たる取材行為自体の違法性を問題とするものである。抗告人は、県から補助金等を受けている公共性の高い相手方会社に税務署の税務調査が入り、税務問題に関する事件に発展する可能性があるとの情報を得たので、相手方会社が税務調査を受けている現場を、相手方会社の敷地外の公道から視認可能な範囲でその社屋などを取材のために撮影したもので、態様においても適法な取材行為である。本件ビデオテープは放送しておらず、放送しないことを決めた取材テープは消去されるので、外部に流出することは一切ない。

2  報道機関は、通常の取材行為によるビデオテープ等を自己の意思に反して公にされるときには、その取材成果物がその目的外にも公にされる可能性があることを常に考慮しながら取材しなければならなくなるので、その取材活動に重大な支障をきたす結果となる。特に未放送テープを裁判上公にすることは、一般的にも抗議があれば公開を迫られ、取材相手方から放送に向けて強い圧力がかけられることも想定され、取材者並びに報道機関が、第三者的立場から客観的で公平な取材をすることにつき、重大な弊害をもたらし、ひいては編集権の侵害にもつながりかねない。

二1  原決定が判断基準として掲げた三条件は、抽象的で基準として不明確であって、その本件への当てはめも不当である。すなわち、右基準によれば、取材された者がその取材行為が人権侵害をした違法であるとして報道機関に対する訴えを提起した場合は、その取材テープ等は、当然その取材された者が提出に同意する直接の証拠として証拠価値は高いものであり、かつ、その訴訟の性質上報道機関がその提出を拒否することは手続の公平に反するものとして、報道機関は、例外なくこれを提出しなければならない結果となる虞があるもので、報道機関に原則としてその公開を迫る結果となるものである。

2  本件ビデオテープは、相手方らが本件申立てにおいて主張した要証事実である「平成一〇年一月二八日の午前中、税務当局の相手方会社に対する税務調査の際、抗告人がした相手方会社及びその社屋内外の動静を撮影した行為が相手方らのプライバシーを侵害した事実」との関係でも唯一の証拠ではなく、それは、相手方会社関係者や抗告人のカメラマン及び記者を人証として取調べることにより、また、現場写真等の書証等の代替証拠を取調べることにより、十分に本件撮影行為の違法性を判断するに足る審理を尽くすことができる。また、右要証事実のうち、その撮影年月日、撮影態様等は当事者間に争いはない。

三  本件ビデオテープの証拠調は、文書に準じるものとして民事訴訟二三一条により書証の取り調べの方法によるべきものであるので、それを検証物とすることは許されない。仮に、本件ビデオテープが検証物であるとしても、それは、報道機関の一員であるカメラマンが職務上取得した情報であり、その情報は報道されるまでは報道機関の内部情報として職業上の秘密に該当する。したがって、抗告人は、民事訴訟法一九七条一項三号の類推適用により本件ビデオテープの提出を拒絶できる。又は、民事訴訟法二二〇条第四号ハの規定(専ら文書の所持者の利用に供するための文書)の類推適用により、その提出拒絶につき正当事由がある。

第四  当裁判所の判断

一  (本件ビデオテープの証拠としての性質について)

書証は、文書の意味内容、文書に表現されている思想を証拠資料とする証拠調べであり、検証は、裁判官が事物の形状・性質について五官の作用を通じて直接得られる判断結果を証拠資料とするものであるから、証拠調べの方法を書証でするか検証とするかについては、その証拠資料になるのが、文書ないし準文書として思想、意思表示、事実報告情報等の表現内容であるのか、それともその資料の存在状態、記録状態、性状等であるかで区別すべきである。しかるところ、本件ビデオテープは、その撮影内容を調べるものではあるが、その内容は人の思想、意思表示、事実報告情報等の表現内容を代替的に記録したものとしての内容が問題とされるものではなく、その撮影対象との関係、その撮影記録の状況等撮影態様の客観的存在状態や記録状態が問題とされるものであるから、検証物として証拠調べをするのが相当である。

二  (検証受認義務と検証物の提出拒否について)

1 検証受認義務ないし検証協力義務は、わが国の裁判権に服する者の一般的義務と解されている。しかし、検証は、その実施により人の生命身体、健康状態への重大な影響を及ぼす虞がある等のことからその性質上当然に検証の拒否を正当化しうるとき、又は、検証受認者に証人尋問における証言拒絶事由が存するとき等の「正当の事由」があるときはその検証を拒否できるものというべきである。

そして、報道機関の記者やカメラマンが取材の過程に関する事項について証人としての尋問を受けたときには、民事訴訟法一九七条一項三号の「技術又は職業の秘密に関する事項について尋問を受ける場合」所定の「職業の秘密」に該当するので、原則として証言拒絶権を有するものと解される。したがって、報道機関がその取材の過程で撮影したビデオテープ等も、職業の秘密を理由にその検証及びそれに際しての提出義務を拒絶する正当な事由が原則として存するものといいうる。

2  報道機関の記者やカメラマンの職業の秘密を保護する趣旨は、その職業の業務遂行の過程で得られたものを無制限に公表しなければならないとすると、相手方との信頼に基礎を置く社会的に正当な職業活動の維持遂行が不可能又は著しく困難になることを考慮したものである。

そして、その保護の対象は一般的には当該秘密を基礎として職業活動を行う主体の利益であると解される。しかしながら、報道機関の報道ないし取材についての「職業の秘密」が保護されなければならない理由は、報道機関自体の右職業活動の保護に止まるものではなく、それが民主主義社会の存立に不可欠な報道の自由と不可分な関係を有するためであるから、報道機関が報道のために取材した情報等の秘匿は、国民の「知る権利」・「表現の自由」の保障の保護に資するもので民主社会全体の利益と関係するため、その観点からの利益も考慮に入れるべきである。

三  (報道の自由等の保護と公正な裁判の保障との調整について)

1  民主主義社会に不可欠な思想・意見・情報などを国民に伝達し、国民の知る権利の要請を充足する役割を担っている報道機関の報道の自由は、表現の自由を定めた憲法二一条によって保障され、その報道の前提となる報道機関の取材の自由も保障されなければならないところ、その取材情報の開示がその本来の目的外に無制限になされるときには、取材の自由を危うくし、その結果、自由な言論、報道の自由が妨げられることになり、国民に正確な情報を提供するという報道機関の職業・使命を遂行できなくする虞があることは明らかである。そして、報道は、取材、編集、発表という一連の行為によって成立するから、報道の自由は、これらの一連の行為の自由が保障されて初めて真に保障されるものである。

そこで放映されていないビデオテープ等の取材資料を報道機関の意思に反して公開することは、報道機関が、自らの社会的使命に照らし、その責任において、取材した情報を取捨選択し、いかなる範囲で公表するかを決定するという編集の自由を侵害し、かつ、発表の自由を奪うこととなると共に、将来の取材に対し萎縮効果をもたらし、取材の自由を危うくして、報道機関の社会的使命の遂行を不可能もしくは著しく困難にする虞がある。そのため、仮に、その取材対象者がその取材成果を公表することにつき同意ないしは同意したと同視すべき事情があったとしても、それを理由に右取材の成果の公表を報道機関の自主的判断に反して命ずることは必ずしも相当でないことは明らかである。

2  しかしながら他方では、国民は憲法により公正な裁判を受ける権利を保障されているのであるから、その公正な裁判の実現のために、報道機関の取材成果についてもそれを証拠として提出させる必要があることも明らかであるから、その必要の度合を示す諸事情と、その提出をさせることが報道の自由に及ぼす影響の度合等の諸事情とを具体的に比較衡量して決すべきことになる。

3  したがって、報道機関の取材の成果は「職業の秘密」に属するので、報道機関には証言拒絶権に準じて検証物提出拒否権が原則として認められるが、その権利の行使が「訴訟における公正な裁判の実現の要請」との比較衡量において、右の公正な裁判の実現の要請が勝る特段の事情が存するときには報道機関の右権利行使は制約を受けるものと解される。公正な裁判の実現の要請は、審理の対象である事件の性質、態様及び軽重(事件の重要性)、要証事実と取材の成果との関連性及び取材の成果を明らかにする必要性、さらには当該証拠調べの必要性(すなわち、他の証拠を調べた結果でも、さらにそれを取り調べる必要があるという補充性の有無等)などの具体的検討の下に、取材の成果を明らかにすることが将来の取材の自由に及ぼす影響の度合、さらには右に関連する報道の自由との相関関係等を具体的に考慮に入れた上で判断すべきであり、これらを慎重に比較衡量して、取材の成果についての検証物提出命令を拒否できる正当な事由の存否を判断すべきである。

四1  本件においても、抗告人が報道機関としてその取材をした本件ビデオテープについては、原則として抗告人の「職業の秘密」に属するのでこれにつき秘匿特権を有するものと推定すべきであるが、具体的にその提出を拒否する「正当な理由」があるか否かは、本件基本事件の公正な裁判の実現のために本件ビデオテープの提出を必要とする諸事情と、その提出が報道の自由に及ぼす影響を表す諸事情とを、比較衡量して、抗告人が検証物の提出を拒否しうる秘匿特権の行使を制限すべき特別の事情があるか否かを決定すべきである。

2  そこで、右特段の事情の有無のために本件事件の重要性を具体的に検討するところ、本件基本事件が「抗告人が、その記者をして、相手方会社の前の公道上からビデオカメラを使用して、相手方会社の社屋の内外部を撮影したことが、相手方らのプライバシーの権利を侵害したので、その損害賠償を求める。」と主張するものであることは前記のとおりである。

ところで、プライバシーの権利とは、「人格権の一部として私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利である。その根拠は、憲法一三条の個人の尊厳にある。」と定義されるが、その権利内容は、法律上明文の規定によって定められたものではないので、その法益である人格的利益が多様かつ相対的であることと相俟って、具体的にいかなる法的利益がプライバシーとしてこの内実をなすかは一義的には明らかでない。そこで、プライバシーの権利を侵害されたと主張するものは、その具体的内容を概括的にもせよ主張して、その保護されるべき具体的法的利益を特定する必要があるものである。

ところが、相手方会社は、外部の多数人の出入りを予定している卸売市場を営む株式会社であるので、その会社にはその経済的信用や企業秘密を離れたプライバシーの権利といえるものがどのような内容、形態で存在するのか、又、相手方会社の社屋の内外部を敷地外の公路上から撮影されたということが、相手方個人のその就業場所での行動のいかなる内容、形態のプライバシーが侵害されたことになるかについて、本件基本事件において具体的主張はしておらず、また記録上もそれを窺うことができない。したがって、本件基本事件における本件ビデオテープの検証の必要性や重要性を具体的に判断することは困難である。

しかも、記録によれば、抗告人が相手方会社の社屋を撮影した撮影年月日、撮影位置、対象等は概ね当事者間に争いがなく、また、本件にあっては本件社屋を外部路上からどの程度撮影しうるものかは現場写真等の書証等から明らかであり、何を撮影したかは抗告人の記者の証人尋問によって相手方の主張の範囲に関しては明らかにされており、さらに、何を撮影された虞があるかは、相手方会社の関係者を人証として申請することにより立証する手段は存するのであるから、本件ビデオテープの証拠調べが不可欠であるとは到底いえない。すなわち、本件ビデオテープを調べなくても代替証拠により十分に本件撮影行為の違法性の有無を判断するに足る事実を審理することができるというべきである。

したがって、抗告人の取材の成果たる本件ビデオテープを検証物として提出を拒否する「正当の事由」である報道機関の有する報道の自由に基礎をおく取材、編集、発表の自由に制限を加えてまで、本件基本事件の公正な裁判のためにこれを公表させることを相当とする事情は認められない。

五  結論

よって、相手方らの本件申立ては相当でないので却下すべきである。

したがって、これと異なる原決定を取消すこととして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官鬼頭季郎 裁判官慶田康男 裁判官廣田民生)

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